「節約」なんてアホくさい

「節約」なんてアホくさ。


最近「節約」関連の記事がホッテントリにあがっているのを見て、思わずそう思ってしまいます。


参考記事:
http://www.sugobu.com/money/costcut/post192/
無理せず節約するコツ


不景気という単語があいさつの枕詞に使われる昨今、そういった記事に注目が集まるのは当然といえば当然なんですが、そもそも世の中で言われる「節約」ってなんか違うんじゃないかなーと、そう思うわけです。*1


僕は家計をやりくりすることには、もろ手をあげて賛同します。家計というのは収入と支出があり、どこかでその帳尻を合わせなければいけないわけで、「あれも買いたいこれも買いたい」という人間の欲望をありのままにしていたら、破たんするのは間違いないわけですから。


ただ、世の中にはびこる「節約」、特に主婦向けの雑誌に載っているtipsのような「節約」術には非常に懐疑的です。底値表を作ってスーパーで食料品を1円でも安く買うとか、スイッチをこまめに切ることで電気代を○円浮かせる、とかその類だと思ってもらえば大丈夫です。こうした世にいう「節約」は必ず食費やガソリン代など、日々出ていく支出に向けられます。しかも、ひとつあたり数円など、ものすごく小さな単位を切り詰めようとします。



こういったやりくりは「節約」と呼べない、と実体験を通して強く思います。それは、単に「生活を削っている」だけじゃん、と。



自分の話。1年ほど前、「支出を半分にする!」と無茶な計画をたてた事がありました。ちょっとばかし預金残高が増えたのをいいことに、分不相応に生活レベルを上げてしまったことへの反動みたいなもんです。「外食厳禁!」とか「飲み物は絶対買わない!」とか誓いをたてました。自宅にあるホワイトボードにでかでかと書き出していましたね・・・ええ、もちろん、一カ月もしないうちに、ものの見事に挫折したわけですが。途中でつらくてやめてしまいました。


なにがつらいって、ものが買えないこと、ではないんです。外食できなかったり、ジュースが飲めなかったり、そういうことはまあ些末なことだと思います。それよりも、そうまでして生活を切り詰めようと、心がセコセコして、生活の質がガクンと落ちたように感じるのが、とても嫌でした。なんかすごくみすぼらしいなあ、と。


みすぼらしい、というのは他人の視点を気にしてではなく、自分の中で、です。自分の中にある「生活のイメージ」みたいなものが、一段落ちてしまうような印象。言うまでもなく、食事は人間にとって重要な、基本的な行為です。人種性別年齢にかかわらず人間は食事をしますし、多くの人は1日に3回(2回も多いかもだが)食事をとるわけで、生活に密接に関係する部分です。そこに大幅な制限を加えてしまうと、おそらく現実的な効果以上に、心理的な影響が大きく出てくるように思います。


なによりも、それだけ切り詰めようと四六時中節約のことを考えていると、疲れますし。



もちろん、これは生活にまだ余裕がある段階の話であり、赤字続きで家計がやばい、という時には問答無用で生活レベルを落とす必要がありますし、みすぼらしいと言ってる場合ではないんですが。


生活の質を落とさず支出を減らそうと思うなら、参考記事にあるとおり、

本当の節約上手になりたいのであれば高額品こそじっくりと値段交渉をしてください。

http://www.sugobu.com/money/costcut/post192/

というようなことや、生活全体の見直すということが必要でしょう。固定費で不要なものを削る、とかね。付け焼刃の「節約」は心を浪費させるだけです。

*1:余談ですが、僕はと言えば、超がつくほどのやりくりマニアで、家計簿だけでは飽き足らず「資産管理簿」とか「費目別年間予算配分」とか作っております。ちなみにこれは万人モレなくヒかれるマジックワードで、実母にさえ「ないわ……」と言われます。独身男子が家計簿をしっかりつけるというのは、僕の想像以上に奇異に映るようです。