「都会に出て行けばいいじゃん」論について

はてブ界隈で、都会と田舎をめぐる議論が盛り上がっているのを、興味深く眺めております。始まりは下の記事。



無職の父と、田舎の未来について。(9/24追記) - どさんこ田舎者、東京でいろいろつくる


北海道に住む父親の窮状を憂いていた元記事主は、以下の問題提起を行います。


1 向上心があまりなく、身体が丈夫でなく、コミュニケーションが取りにくい人間に、できる仕事はあるか。
2 そういった仕事を、人口100万以上の都市まで車で4時間かかるような、田舎に作ることはできるか。
3 そういった仕事に限らず、都会から田舎に仕事を流すことはできるか。


多くの人がこの問題提起に触発されて記事を書いたり、 twitterにツイートをしているのを見るに、都会と田舎をめぐる議論への関心の高さがうかがえます。


元記事の問題提起に対し、「やっぱり地方に1〜3の答えを用意するのは難しい」というコメントが多いのは、さもありなんという感じです。僕も、有効なアイデアは何もありません。それだけ、田舎の現実はシビアに考えなければいけない問題だと思います。

ただ、「都会に移住しろ」といったコメントが多いことには驚かされてしまいました。元記事は、明記されてはいないですが、「都会に出ない、という選択をした場合」、という暗黙の前提があると捉えていたからです。



なぜか。仕事がなく、生活が成り立っていないと感じる人にとって、都会に出るという選択肢はおそらくリストの最初のほうに来るはずなのです。(事実、記事の中でも都会に出るという選択肢は挙げられています。そのあと、特に考察はありませんが)ほんとに都会に仕事があるのかは、また別の話として。それでも田舎に残る人が多いのは、当然理由があるのでしょう。

住み慣れた土地を離れるためには、多くのものを失う可能性があります。例えば、人の繋がり。地元で築いた人間関係や仕事の繋がりは、基本的には絶たれます。金銭面では、持ち家がある場合、手放するなり誰かに貸すなりする必要がありますし、ローンの問題もあります。借り家であっても、引越しにあたってはそれなりの金額が必要になります。
そして、こういった実際的なデメリット以上に、住み慣れた家を離れることに対する心理的な抵抗感は、非常に大きいものです。それは理屈を超えたものです。

これらのデメリットを乗り越えても移住するというのは、現状維持では生活が成り立たない、という強い危機感、または切実な生活の危機が存在するか、都会に出て行くことに強い憧れがある場合のみではなかろうかと思います。

逆に言えば、上のような田舎に対するしがらみがない人は「移住しろ」という意見にも同意できると思うのです。が、そういう人はだいたい若い人ですよね。コメントしているのもそういった層なのかなと思います。



これからどんどん都市化が進むことは間違いないですし、その中にはある程度年配の方も含まれるとは思います。ただ、じゃあ地方に残る人がいなくなるか、というとそれは絶対ない。そして、残る人の大部分は「非若者」のはずです。元記事のお父さんのような人にとって、「都会に出る」という選択肢は無意識的に、しかし最初に却下される問題なのだと思います。



経済的合理性「だけ」を考えるのであれば、人はある程度密集して暮らすべき、という考えは当たり前です。集中して暮らせば、当然一人当たりの生活コストは下がるのですから。

とは言っても、地方に残る人は、上のような理由により、必ず存在するはずです。都会に出た人だけ救われればいい、という話でもないはずです。だからこそ、元記事の1〜3の問いについて「都会には出ないという選択をした上で」考える必要があるのかなと思います。